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9月になりました。

9月になりました。このところ台風が立て続けに日本に来ていますが今年は太平洋高気圧の勢力が突然萎んでしまったのでしょうか。
変な道筋を台風が通っているようで九州から四国の高知を通るいつものルートはあっという間に閉じたかのようです。

ものづくり系を狙って始めた仕事ですが定年退職してからの約2年間を振り返ってみると、行き当たりばったり感満載です。
これからもそのような日々が続くのでしょうね。
自由に生きることが次第に普通になりつまりますが、長い間の習慣で気持ち的に何か仕事を待っているところがあるのは不思議な感じです。

最近、古い新書を持ち出して禅について読み返しております。
私が思春期から大人になりつつあった1970年台前半は時代的に禅が一種のブームだったのでしょうか。
それとも少し変り者だった少年にとっては禅や修行者、仙人や悟りを開いた人はあこがれだったかもしれません。
ある程度大人になった40歳前にもグラン・ブルーのモデルになったジャック・マイヨールが禅を取り入れて素潜りを極めた話などには大変興味を引かれたものでした。

読み返しているその新書には禅は哲学のように考え抜くものではないと記されていました。禅は生活そのものであるような内容だったと理解しています。(今までだったら正確を期すためにその本が書いてあるところを改めて見直すのですが今は記憶に残ったままを書きたいと思っています。)
なぜか今でも禅に興味が尽きません。
日本の文化(ちょっと大げさですね。)と云うか日本人の持っている精神性(これも大げさですね。)と云うか、ひょっとすると自分自身の美的感性や精神性(侘びや寂びを感じる心のようなもの)はここにルーツがあるように思うのです。
歴史的に禅が日本に持ち込まれたのは鎌倉時代で室町時代には大変流行ったようです。
それが戦国時代を潜り抜け茶道や剣道のような道と云う概念になり、文学的には俳句に結実したとその本に教わりました。

今流行の『おもてなし文化』はそれを出発点としているのではなく
『むら社会』の気遣い精神が発達したものと云えば皆さんから非難されるかもしれませんね。
日本人が好んだ侘びや寂びは『おもてなし』を『おもてなし』としてあからさまに表さないことだったような気がしています。
どうも今の日本はいろいろなことに間違いを犯しつつあるように思っているのですが
そう思っている私は何か変ですね。